百万本のバラ
加藤登紀子さんの歌う「百万本のバラ」を久しぶりに耳にした。
昔はロマンチックな歌だと思ったが、かなりの違和感を持った。
【百万本のバラ】
小さな家とキャンバス 他には何もない
貧しい絵かきが 女優に恋をした
大好きなあの人に バラの花をあげたい
ある日街中の バラを買いました
百万本のバラの花を
あなたにあなたにあなたにあげる
窓から窓から見える広場を
真っ赤なバラでうめつくして
ある朝 彼女は 真っ赤なバラの海をみて
どこかの お金持ちが ふざけたのだとおもった
ちいさな家とキャンバス 全てを売ってバラの花
買った貧しい絵かきは 窓のしたで彼女を見てた
・・・以下略・・・
今の日本でこんなことをしたら、たちまちセクハラで訴えられてしまう。
広場を百万本のバラを敷きつめたら、ゴミの不法投棄にもなるかもしれない。
もちろん気持ちをデフォルメした詩であることは分かるけれど、場面を想像するとちょっと気持ち悪い。
ところが、原曲は小国故に様々な国に侵略され悲劇を繰り返してきたたラトビア民謡であり、歌詞もまったく違うという。
【マーラが与えた人生】
子供のころ泣かされると
母に寄り添ってなぐさめてもらった
そんなとき母は笑みを浮かべてささやいた
「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」
時が経って…もう母はいない
今は一人で生きなくてはならない
母を思い出して寂しさに駆られると
同じことを一人つぶやく私がいる
「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」
そんなことすっかり忘れていたけど
ある日突然驚いた
今度は私の娘が 笑みを浮かべて口ずさんでいる
「マーラは娘に生を与えたけど幸せはあげ忘れた」
時代の流れは残酷だけれど、日本語にするとき、もう少し良い歌詞はなかったのだろうか?
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