報道されない自由
最近のテレビは観たい番組があまりないのでニュースがついていることが多いが、どうでもいいようなもの、むしろないほうがよいものがたくさんあって驚かされる。
最近も、
「1日午前10時10分ごろ、昭島市に住む80代の男性が、自宅でお雑煮のもちをのどに詰まらせて心肺停止の状態になり、その後に死亡が確認された」とか、
「12日午後9時半ごろ、東京都大田区南馬込4丁目の無職野沢三四蔵(みよぞう)さん(93)宅で、三四蔵さんと妻チイさん(90)が風呂場で倒れていると、同居している長男(60)から119番通報があった。2人は搬送先の病院で死亡した」
とかいうニュースが流れていた。
他にも自転車で転んで大怪我をしたとか、階段から落ちて死んだとか。
それらのニュースは、報道の意味もジャーナリズムもまったく感じられず、たんに尺(放送時間)を埋めるためにやっているとしか思えない。
マスコミは、事あるごとに「報道の自由」を錦の御旗のように振りかざすが、被取材者には「報道されない自由」はないのだろうか?
私は、餅を喉につまらせたとか、酔っ払って階段から落ちたとか、どんな死に方をしたとしても、知らしめることに社会的意義がないのならば、好奇の目に晒されたくはない。
考えてみてください。
葬式の席で参列者たちが、「あのご主人、体力ありそうに見えて餅を喉につまらせて死んだんだって」とか、「よく、ベロベロになるほど酔っ払っていたらしいわよ」なんて言われたら、本人は死んでいるからいいとしても、遺族だって耐えられないと思う。
自分もマスコミの仕事していながら、怒りを込めて言いたい。
お前ら、他に報道することはないのかよ!!!!
0コメント