いらない仕事

NHKの「日本人のおなまえっ」で元号に関する話題を観た。

学者や有識者やその他諸々、偉い人々が集まって議論を重ねた挙げ句決定されるそうだが、そこにどんな意味があるのだろうか?

SNSの投稿を見ても書類に書くのは西暦に統一してほしい、という意見が多くあるし、実際何の役にも立っていないと思う。寛永3年、と言われてそれが何時代で何年前のことか分かる人がどれだけいるだろうか。西暦なら、何時代化は分からないが、何年前の出来事かは、引き算すれば簡単に分かる。


もう一つ思うのは、元号を決めるのには、長い時間と何回もの議論が必要だと言うが、一体されにいくらの税金が使われているかということ。

金額は分からないが、お偉いさんをたくさん呼ぶのだから、会議する場所のそれ相応のところだろうし、人件費だってバカにならないと思う。もしかして、長時間になってお弁当が出るとすれば、コンビニ弁当ではなく、割烹の仕出し弁当だろう。


いろいろ書いたが、今の社会には、要らない仕事が多すぎると思う。

私が主に仕事しているNHKでは、ロケに行くに際して、安全対策や出張伺いなど、海外ともなると書かなければならない書類が20くらいあって、それも、似たようなことを書くのだが、それぞれに書式が違うので大変だ。


何でそんなことになってしまうかと言えば、年寄りに仕事を与えるため。出世して一線で働き続ける人はいいにしても、上に行くに従って人数は少なくなるから、役職にあぶれる人が出てくる。しかし、クビにはできないから、安全管理部やコンプライアンス部など、どうでもいいような部を新設して、窓際を押し込む。押し込まれた老人は、もともと馬鹿だから、何故その部署に配属されたかも分からず、「部長」などとついた肩書を振りかざして、効率度外視で現場に無理難題を押し付けてくる。


日本の生産性が外国に比べて悪い、と言われるが、根本の原因は、こうした老害による、社会システムの老朽化にあるのではないだろうか?

「老兵は死なず」死ななくてもいいので、静かに立ち去って欲しいと思う。



これでいいのかな?

テレビ業界で働くフリーのディレクターです。だから何?ときかれても困りますが、気の向いたときに、世迷い言を書いています。

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